以前「ロベール・ドアノーの写真と朗読でつづる自伝的試み」という講演会があり、
写真家ドアノーの作品をたくさん見てきました。
モノクロ写真の印象がつよいドアノーですが、
時代が移ってカラーの写真も登場します。
しかしカラーの写真がスクリーンに映し出された瞬間に、
それまでいっぱいにふくらんだときめきが、しゅっと萎むのを感じました。
…どうやら色は多くを語りすぎるのです。
色という与えられる情報だけで分かった気になる。
そこで思考が止まってしまうのです。
深く想像する、ということをやめてしまうのです。
水墨画の世界もそれと同じで、
墨だけの表現の中に、観る人が自由に色を感じることができます。
その思考のヴァリエーションは色で表現するより、ずっと多弁かもしれません。
作品を通して今日見えるものと、明日見えるものは、きっと違う物語だと思います。
鳳香が描いた墨美神のまなざしの先に、
あなただけの物語を感じていただけたら光栄です。